東北の短い夏を彩る3大夏祭りといえば、仙台七夕まつり(宮崎県)、青森ねぶた祭(青森県)、秋田竿燈まつり(秋田県)が挙げられますが、中でも青森県のねぶた祭には、3種類の異なった「ねぶた祭り」が、それぞれの地域で、同じ時期に開催されていることをご存知でしょうか。
「動」のねぶたと言われる青森ねぶた祭、「静」のねぶたと言われる弘前ねぷた祭り、そして五所川原立倭武多(ごしょがわらたちねぶた)。
最も歴史が浅いと言われる五所川原立倭武多ですが、その巨大な人形の迫力とインパクトは、ねぶたの中ではナンバーワンだと、青森県の人々には称えられていて、人気のあるお祭りの1つとなっています。
この五所川原立倭武多(ごしょがわらたちねぶた)の魅力の裏にある、立倭武多復活までの輝かしいヒストリーと、五所川原立倭武多の見どころをご紹介します。
五所川原立倭武多(ごしょがわらたちねぶた)の歴史や由来
五所川原立倭武多は、他のねぶた祭りの歴史とは異なり、飛鳥時代の日本に、仏教と共に伝来した中国の中元(ちゅうげん=先祖の霊に感謝する行事)に、由来するものだと言われています。
立倭武多(たちねぶた)は、時代を経て、山車の運行や祭囃子行列など、他のねぶた同様に、進化していきますが、江戸時代になると、ねぶたの大きさは、豪商達の財力の象徴となっていきます。
当時の運行できる道路の狭さも相重なって、ねぶたの横幅の制限を強いられると、地域の豪商達は「ねぶた」を縦に高くして大型化を競い合いました。
大正時代に入ると電気が普及し、街に電線が張り巡らされたことで、立倭武多は高さを失い、小型化へと進んで行きます。
昭和時代、2度の大戦で街は焼け野原となって、ねぶたの設計図や写真も消え失せてしまい、五所川原立倭武多はこの世から姿を消してしまいました。
五所川原立倭武多復活へ〜つながれた人々の思い
昭和50年、五所川原市制施行25周年を記念した写真展で、わずかに残存していた明治時代の巨大ねぶたの写真が飾られ、初めてその迫力と美しさに感動した五所川原の人々は、「五所川原立倭武多を再現させたい」という思いに夢を膨らませ始めます。
それから10余年経ったある日、当時の豪商に仕えた棟梁が描いたねぶたの設計図が五所川原の民家で発見されました。
これを機に、平成8年には「五所川原立倭武多復元の会」が発足。
そして、同年の7月、五所川原立倭武多の90年前の姿が、見事に人々の目前に蘇ります。
長い歴史を経てつながってきた五所川原立倭武多復元までの数々のドラマは、同市にある「立倭武多の館」にて観ることが出来ますよ。
五所川原立倭武多の見所
ねぶた祭りは夜空の下、派手に輝くねぶた灯籠が祭りの最大の魅力ですが、この五所川原立倭武多は、まだ日が沈んでいない時刻のねぶたの様子から楽しめるのが特徴です。
祭り本番で、街を運行する立倭武多たちは、すべて「立倭武多の館」から出陣します。
動く様子は、遠くからでもビルの建物の間からチラリと見えて、まるで、怪獣が街を歩いているかのようで面白い風景として有名です。
五所川原立倭武多の人形の絵やテーマは、他のねぶた祭と似ていますが、夜の暗闇になると、ねぶた灯籠の内側から灯る明かりが、立倭武多の迫力を最大限に引き出します。
立倭武多は、巨大なもので高さ23m(ビル7ー8階)ありますので、その見下ろされるような接近感と迫力は現場でしか味わえない醍醐味といえるでしょう。
心躍るリズムの祭囃子
五所川原立倭武多の掛け声は、「ヤッテマレー、ヤッテマレー」。
これには「やっつけてしまえ」の意味が込められていると言われています。
観客も一緒になって、思わず声に出してしまうほどの調子の良いリズム感。
五所川原の夜空に響きわたる太鼓と、21節からなる囃子の心躍る音色は、大人だけでなく、小さな子どもまで楽しめます。
夜の五所川原の街に広がる子どもの掛け声が観光客を、さらに、ウキウキした気分へと導いてくれます。
五所川原立倭武多スケジュール
交通アクセス
電車JR 青森駅から川辺駅経由で五所川原駅下車(約70分)
車 東北自動車道 浪岡IC → 津軽自動車道 五所川原IC(約30分)
お問い合わせ(当日の駐車場と交通規制について)
まとめ
立倭武多の歴史と伝統が学べる資料館の「五所川立倭武多の館」では、立倭武多の制作現場を見学したり、普段は見上げることしかできない、立倭武多を様々な角度でじっくりと観ることができます。
また祭りの前日にあたる8月3日は、近くの岩木川河川敷で、毎年盛大な花火大会が行われますので、五所川原立倭武多の感動と共に、東北の夏の夜空も満喫して下さいね。