9月5日は「国民栄誉賞の日」
「国民栄誉賞」という言葉を耳にしたことはあっても、その詳しい事を知っている人はあまりいないのではないでしょうか?
「国民栄誉賞の日」の由来や、その受賞者などをみていきましょう。
「国民栄誉賞の日」の由来とは
野球選手の王貞治さんが、日本初の国民栄誉賞を受賞したのが1977年の9月5日。その日にちなんで作られたのが「国民栄誉賞の日」です。
元々この賞が作られた経緯というのは、ホームランの世界記録を打ち立てた王さんを称えるためのものでした。
王さんのホームラン868本という記録は、未だに破られていません。どれだけすごい記録だったのかというのがわかりますね。
国民栄誉賞とは
国民栄誉賞とはどんなものでしょうか?それらを詳しく見ていきたいと思います。
制定されたのは1977年8月30日のこと。
先ほど書いたように、王貞治さんに贈るに先立って創られましたものです。
内閣府のHPにはこの賞について、「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えることを目的とする。」と書かれています。
受賞者の選考には、民間有識者の意見を聞くということが必要なので、内閣総理大臣一人が決めるということは出来なくなっているようです。
受賞者にはどのようなものが物を贈るのかについても、内閣府のHPに書いてあります。
それによると「国民栄誉賞は、表彰状及び盾とする。表彰に当たっては、記念品又は金一封を添えることができる。」とあります。
しかし実際に金一封が贈られたことはなく、受賞者には100万円程度の記念品と賞状・盾が贈られるようです。
記念品にとってはそれぞれの受賞者により違いがあるようですが、その人に見合ったものを選んでいるようですね。
記念品には壺・花瓶・時計・真珠のネックレス・金の帯・書道セットなどがあるようです。
最初に受賞した王貞治さんには、オオカンムリワシの剥製が贈られています。
歴代の受賞者とその功績とは
歴代の受賞者を見ると、名だたる人物ばかりで、現在までの受賞者は27人。スポーツ選手・漫画家・作曲家・映画監督と、ジャンルは多岐にわたっています。
最近では、フィギュアスケートの羽生結弦選手に贈られましたね。
彼は23歳ということで、史上最年少での受賞となっています。その業績は、フィギュアスケート男子シングル種目で、66年ぶりという2連覇を達成し、社会に明るい希望を与えたことによるものです。
最年長での受賞は女優の森光子さんです。89歳での受賞で、その功績は舞台「放浪記」において、2千回を超える主演を勤めるなど、長年にわたり多彩な活動をして国民に夢と希望とうるおいを与えたことだそうです。
また始めて団体受賞したのが「なでしこジャパン」。その功績は、諦めない精神が国民に感動を与え、東日本大震災などの困難に立ち向かう人々に勇気を与えたということでした。
意味があるのかどうかわかりませんが、既に亡くなっている人にも贈られています。
歴代の受賞者を、受賞した順に書いてみました。中には本名ではなく、芸名などわかりやすく表示している人もいます。
1王貞治・2古賀政男・3長谷川和夫・4植村直己・5山下泰裕・6衣笠祥雄・7美空ひばり・8千代の富士・9藤山一郎・10長谷川町子・11服部良一・12渥美清・13吉田正・14黒澤明・15高橋尚子・16遠藤実・17森光子・18森繁久彌・19なでしこジャパン・20吉田沙保里・21大鵬・22長嶋茂雄・23松井秀喜・24伊調馨・25羽生善治・26井山裕太・27羽生結弦
※古賀政男、長谷川和夫、植村直己、美空ひばり、長谷川町子、服部良一、渥美清、吉田正、黒澤明、遠藤実、森繁久彌、大鵬は没後に受賞
辞退した人もいるの?
国民栄誉賞を辞退した人と言えば、イチローが有名ですね。
令和初の受賞者としても名前が挙がっていたようですが、今回も固辞したことで、三度目の辞退となりました。
2001年、一番はじめに辞退した理由としては「まだ現役で発展途上の選手なので、もし賞をいただけるのなら、現役を引退した時にいただきたい」ということだったようです。
けれどその後も固辞し続けるということは、彼なりの考えがあっての事なのでしょうね。
もう一人辞退している人がいますが、こちらも野球選手の福本豊さんです。彼は「世界の盗塁王」と言われた人物。
断った理由と言うのが、国民栄誉賞の重荷を背負って生きていくのが嫌だからということから、ということだったようです。
まとめ
国民栄誉賞を受賞する人というのはごく一部の人であって、一般人には遠い存在ですね。この日は受賞した方々の作品に触れるなど、思いを馳せるのもいいですね。